現在、有名声優としての地位を確立し、声優一本で食べている方も、大変な下積み時代、バイト時代を過ごしてきた方が多くいます。
最近では、家がお金持ちでバイトをしたりせず、声優として活躍されている方も増えてきましたが、
お金持ちはそんなに多くない世の中です。
浮世離れした感覚が「不思議ちゃん」として受け入れられる事もありますが、「苦労知らず」と嫌な印象を抱いてしまう方も少なくないと思います。
それに比べ、下積み時代を経て、ハングリー精神、雑草魂で仕事を勝ち取ってきた人というのは、視聴者に好感を持たれやすいです。
今回は、現在有名声優として活躍されている声優さんの中で、アルバイト時代や、下積み時代を送ってきた方のエピソードを紹介します。
もくじ
下積み・貧乏・バイト時代のエピソード
田村ゆかり
デビューの流れ:代アニ福岡校→日ナレ→アーツビジョン所属
高校卒業後、地元福岡の一般企業でOLとして勤務。
OLとして仕事をしながら、代々木アニメーション学院福岡校に通うが、デビューできずに修了。
勤めていた会社を退職し、福岡から東京へ上京。
日本ナレーション演技研究所に入所し、後にアーツビジョン所属としてデビュー。
友達が少なく、福岡の養成所でいじめられていた。
櫻井孝宏
デビューの流れ:代アニ名古屋校→81演技研究所→81プロデュース所属
高校卒業後、代々木アニメーション学院名古屋校に通うが、デビューはできず、
20歳で上京し、81演技研究所に通う。
養成所3年目ごろから仕事を貰っていたが、月1,2本で食べて行くことができなかったため、
ロイヤルホストでバイトをしていた。
同い年で仕事をたくさん仕事を貰っている人もおり、
25歳までに声優業が形になっていなかった辞めようと考えていた。
25歳になった時点では、デビュー当時よりは仕事は増えていたが、
週1ぐらいでしか仕事がなく、この頃も週5でロイヤルホストでバイトをしていた。
お金がなく、道端の草にマヨネーズをつけて食べ、食いつないでいたことも。
食べていけるようになったのは、上京して5年経ってから。
居酒屋、ファミレス、コンビニ、書店員だけでなく、遺跡発掘や害虫駆除など様々なバイトを経験。
水樹奈々
デビューの流れ:せとうちのど自慢大会でチャンピオンとなりスカウト→事務所に所属
堀越高等学校に通いながら、代々木アニメーション学院にも通う。
所属していた事務所が倒産し、退学危機に陥るが、ボイストレーナーの師が事務所を立ち上げ、一時的に所属する事で退学を回避。
しかし、その師から5年半もの間、セクハラまがいな行為を受ける。
高校卒業後、吉祥寺のエステサロンで時給850円で受け付けのバイトをしていた。
浅野真澄
デビューの流れ:「声優サマースクール」でグランプリを受賞→代アニ特待生→卒業して半年後アイムエンタープライズに所属
昔から家が貧乏だった。
大学進学のお金がないので、高校時代は奨学金を得るために無遅刻・無欠席・無早退かつ成績優秀な優等生として功績を残し、
大学からの給付と日本育英会からの貸与を受け、國學院大學へ進学。
大学3年の時に友達に誘われて受けた「声優サマースクール」でグランプリを獲得。
売れている声優の給料を聞き、声優を目指すことを決意。
代アニの特待生に受かり、大学4年からは、大学と代アニの授業を両立させた。
代アニと大学卒業後、半年くらいしてから、ボイスアニメージュ編集長の紹介でアイムエンタープライズに所属。
実家を離れて暮らしていた下積み時代にも、お金がなく水道、ガス、電気が止まることも。
実家から送られてきた野菜だけで生活していたこともある。
檜山修之
デビューの流れ:東京アナウンス学院→日ナレ→アーツビジョン所属
高校を卒業して上京するが、親に学費を出してもらえなかったため、
住み込みで新聞奨学生として働きながら、東京アナウンス学院に通う。
住み込みなので、住むところと食事は保証されていたが、案内されたのは
- 4畳半
- 台所と呼べるものはなく、流しがある程度
- 風呂無し、トイレ共同
- 扉もガタガタの木でできており、鍵は南京錠。
- 窓は閉まらず、風が入ってくる
という築年数もわからないオンボロアパートだった。
ここで2年間、体調が悪くても休まず新聞奨学生として仕事と学校を両立させる。
東京アナウンス学院ではデビューすることができず、卒業後は恩師の紹介もあり日本ナレーション演技研究所へ。
卒業と同時に当然ながら新聞奨学金制度は終わり、自分でバイトを見つけて働きながら養成所に通う。
住む場所は、窓がちゃんと閉まり、鍵もちゃんとしたもの、風呂はなくても良いが、トイレは共同じゃないところにしたいと思い、条件を満たす部屋を借りたが、
今度は、食べるものに困ることに。
一日の食費は100円で、パン屋が捨てるパンの耳を勝手に貰っていた。
デビューして約5年、22,23歳で仕事が回るようになるまでバイトを続けていた。
安元洋貴
デビューの流れ:俳協ボイス→現シグマセブン声優養成所→シグマ・セブン所属
養成所時代、誰よりも努力していた。
出っ歯だったこともあり「そんな歯じゃ声優になれない」と言われた時には、
次の日には歯医者に行き、矯正してる時間はない(矯正は長い時間がかかる)ということで、
歯を削って差し歯にした。
貧乏時代は、飲食店でバイトをしており、一日の中で廃棄やまかないが一番豪勢なごはんだった。
お米はあったが、おかずがなかったので、もやしに醤油で味付けをして生き延びていた。
大学の学食のパンの耳を譲ってもらったり、チョコチップスナックを小分けにして食べていたこともある。
貧乏だったときのご馳走は吉野家の「牛丼並みつゆだく+ライス+卵」
牛丼の肉をライスに乗せ、最初につゆだくのご飯だけ食べ、ライスには牛肉と汁気を足すために卵を割り入れ、食べる。
給料日にはこれを毎回ご馳走として食べていた。
細谷佳正
デビューの流れ:東京アナウンス学院→マウス附属養成所→マウスプロモーション所属
貧乏でスーパーの廃棄やお菓子で食いつないでいた。
大きめなぶどうパンの端を少しずつちぎり、3日に分けて食べていた。
じゃがりこだけで3日間過ごしたことも。
電気・ガス・水道がよく止まっていて、友達の家でお風呂を借りることも。
貧乏時代のご馳走は、松屋の「豚キム丼」と宇奈ととの500円の「うな丼」だった。
鳥海浩輔
デビューの流れ:代アニ→日ナレ→アーツビジョン所属
高校卒業後、大学に行けない上、就職して働くのが嫌で、たまたま母親が持ってきたチラシにあった代々木アニメーション学院に通うことに。
代アニではデビューできず、その後日ナレに通う。
日ナレでは基礎科スタートで1週間に1回3時間のレッスンを受ける。
20歳のころ特待生試験を受けたことがあるが、結果は不合格だった。
22歳から一人暮らしをはじめたが貧乏で、
高校卒業後はずっと飲食店(キッチン)でバイトをし、クレープ屋、今川焼屋、たこ焼き屋、ファミレスを経験。
30歳までバイトを続けているようなら辞めようと考えていた。
高校を卒業した(18歳ごろ)から、26歳ごろまでバイトを続けていたが、26歳ごろにとりあえず収入が成り立つようになり、バイトは辞め、声優一本で活動し始める。
最初の仕事は、顔出し研修用PVだった。
大空直美
デビューの流れ:青二塾大阪校→青二プロダクション所属
大学に通いながら、家電量販店のアルバイトで青二塾の授業料50万を貯め、青二塾へ通う。
養成所時代に幸せボンビーガールに出演。
100円ショップでアルバイトをし、月収5万円で生活。
主食は、バイト先でタダで貰ったパンの耳で、
パンの耳5本で1食分という極貧生活を送る。
特別な日には、パンの耳に焼肉のタレを最小限かけて「お肉の味のパンの耳」を食べていた。
40回オーディションを受けて合格したのは1回のみという過酷な状況の中、夢をあきらめずに追い続けた。
声優への道は簡単ではない!
声優志望者のまま終わってしまうか、
脚光を浴びる有名声優になれるかは、
どこまで、自分を信じて突き進めるかにかかっています。
今現在活躍されている声優さんたちも、多くの方が苦労の多い不遇の時代を送ってきています。
何事も諦めず、七転八倒。転んでもただは起きない精神で、突き進む事が大事です。
また、今回の下積みの話で注目してもらいたいのが、多くの声優さんが、
一つ目の養成所でデビューできず、二つ目の養成所でデビューしている点です。
一つの場所でダメだったからと、自分の可能性をあきらめず、
もっと自分に合う養成所、専門学校があるのではないか?と声優になるための最善策を考えましょう。
ちなみに、
声優になるには?もう迷わない声優への道のりでもお話ししたように、
声優になるために一番近道なのは、養成所か専門学校に通うことです。
ネット声優や、見知らぬ養成所、事務所に入っても売れっ子声優にはなれないので注意してください。
おすすめの声優養成所で、
有名声優養成所を料金、おすすめポイント、立地などで比較していますので、参考にしていただければと思います。
声優になると決めたからには、声優一本で食べていけるように、最善を尽くしていきましょう!
自分に合った養成所が見つかる!徹底比較!おすすめの声優養成所